兵衛向陽閣 スタッフブログ

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有馬・兵衛の歴史探訪の最近のブログ記事

平井が語る「神戸事件」

こんにちは。営業販売部の平井です~。
最近、かなり歴史に興味を持ってます。
というわけで、昔神戸で起きた事件をご紹介します。

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それでは早速「神戸事件」。語ります。
時は慶応4年(1868年)1月11日。
三宮神社前にて、備前藩の隊列をフランス人水兵が横切ろうとした。
兵隊長「滝 善三郎」が制止に入ったが、言葉が通じず槍で突き負傷させるに至る。
居留地予定地を検分中の欧米諸国公使らに水平射撃を加えた。
これが発端で生田川の河原(現在のフラワーロード)で銃撃戦と成った。

事件解決に向けた諸外国側の要求は、日本在留外国人の身柄の安全保証。
そして日本側責任者の厳重処罰(滝の処刑)であった。

伊藤博文や五代友厚が折衝と助命嘆願するも否決された。
結局2月2日、永福寺にて列強外交官列席のもと、
「滝」を切腹させ、家老「日置帯刀」に謹慎を課す事で一応の決着を見た。

この事件は、「攘夷(外国を打ち払う)政策」を「開国和親」へと一気に方針転換させた。
これが明治政府初の外交事件と相成った。

現在は三宮神社の境内に、
史蹟碑と事件の説明板と、当時のものと同型の大砲が有ります。
神戸の観光スポットとしては、あまり知られていませんが、
神戸の中心地に在ります。

kobe-jiken1.jpg

kobe-jiken3.jpg

皆さんも一度訪れてみてください。

営業販売部 平井

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有馬温泉 兵衛向陽閣
651-1401
神戸市北区有馬町1904
Tel 078(904)0501
Fax 078(904)3838
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平井です~。
営業販売部です。
本日は語らせて頂きます。

いきなり本題ですが、先日は神戸市兵庫区にある能福寺へ行ってきました。
貴寺は天台宗で、新西国観音霊場第23番札所・福原西国観音霊場第32番札所です。
本堂は、京都東山の月輪御陵にあった拝殿「月輪影殿」を昭和29年九条家より
拝領移築したもので、歴代天皇の参拝された由緒ある建物です。

境内には、巨大な『兵庫大仏』が鎮座しています。
明治24年に建立された初代大仏は、戦時中の金属回収の際、
昭和19年5月悲しみに沈む市民に見送られながら、
赤たすきをかけて出征(解体供出)された為、
現在の大仏は、平成3年に再建された二代目です。
壇徒市民企業多数の協賛により、大仏尊像が再建され、天台座主貌下をはじめ、
奈良東大寺管長、鎌倉大仏貫主ご臨席のもと、未曾有の大開眼法要が挙行されました。

hirai1.jpg

そのときの総工費はなんと五億円!
像丈11m、台座7m、重量60トンもある巨大な大仏となりました。

大仏以外にも、境内には平清盛の廟所や、
神戸事件で切腹した備前藩士滝善三郎慰霊碑などがあります。
hirai2.jpg

奈良大仏、鎌倉大仏は、知ってるけれど、兵庫大仏は知らない人も多いと思います。
地元神戸に、日本三大仏のひとつがこんな近くにありますので、是非、参拝してみてください。
大仏の御顔を拝むだけで、心が落ち着きますよ。

営業販売部 平井

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こんにちわ、小松令和です

ヨーロッパではアイスランドの火山が爆発で主要都市の飛行場は完全に麻痺。

中国青海省では大地震で八百人の死者。
氷点下のなか家もなくどうやって生きているのでしょうか。

世界的に異常事態が勃発しています。
地球が意志をもつ生きものである、という理論がありますが、
地球というレベルでいったら、有馬はフィリピンプレートからの温泉ということですから、世界で起きていることにも無関心ではいられません。

そして日本でも…
先週あまりに寒かったので、

「さ、寒い!さすが有馬だよなー。
 もうコート、クリーニングだしちゃったよ!」

と思っていたら、全国的に寒いんですってね。
東京はここ50年で一番の寒さ。
箱根にいたっては雪 テレビでみてビックリしました。

有馬のスーパーでキャベツが1玉三百円以上もするので、

「オーガニックでもない普通の農薬キャベツなのに~有馬価格!?」

と驚きましたが、
じつはこの異常な寒さで葉が巻かなくてバラバラになってしまうのだそうです。

農水省は農協に、規格外の野菜も出荷するよう要請しました。
こうして規格外の野菜もふつうに流通できるようになれば、
農薬や化学肥料で形をそろえなくてもよくなるから、
結果的にはよかったと思います。
いま、日本のオーガニックシェアはたった2%。
ドイツの85%とは比ぶべくもありません。
農薬だけではありません、身の回りの化学薬品のせいで
妊婦さんの2人に1人が流産・死産・早産などになっています。

兵衛向陽閣の島本料理長も、さいぜんから

「無農薬の地元野菜で、料理をすべてまかないたい」

とおっしゃっていますが、オーガニック野菜の価格帯は現在、市場価格の3倍くらいですので、まだまだ全部というわけにはいきません。消費者の多くが

「規格外の野菜でも虫食いの葉があってもいいから”安全な”野菜を」

という方向で買い物をしに行ってくれたら、オーガニックシェアが広がるので
日本も諸外国レベルにオーガニック化できると思います。
農薬の被害は農家がもっとも深刻、体を病んでいて、とてもかわいそうなのです。
しかしここにきて、日本もエコな取り組みが始まっています。
電気自動車もそうなのですが、TVを見ていてびっくりしたのが、「」あの牛丼チェーンですが、なんと

「化学調味料・合成甘味料・合成保存料・合成着色料不使用」

TVでテロップを出すからには本気でしょう!
あんな巨大な飲食チェーン店で「無化調」とは思い切ったな!と思いますが、いかんせん素材の牛にはまだまだ抗生物質がたんまり入っているでしょうから、牛の住環境もなんとかしたほうがいいと思います。

また「コカコーラ」の「ファンタ」のCMも激しいですが、

「合成着色料不使用」

いったいどのようにしてあの激しい色を出すのか興味深々です。

ぼちぼちではありますが、日本の飲食メーカーが、ようやく健康問題に取り組み始めたようなので、
ずっと自然食活動を続けてきた私的には、たいへん安堵しました。嬉しい思いでいっぱいです。
日本人は究極まで突き詰める体質なので、いったん始まったらきっちりやり遂げると思います。日本の未来は明るい!

かつて、「旅館兵衛」の主人であった兵衛元式というかたは、有馬の温泉医だったそうです
有馬という地域は古くから温泉療法のメッカで、数々の皇后の不妊治療に効果をあらわし「子宝の湯」として知られてきました。
いまは大きな施設となった兵衛向陽閣ですが、妊婦さんや車椅子のかたから、
「なかなか大浴場に入りづらい」というお声を聞きます。
むしろ車椅子のかたこそ効果の高い「赤湯」に入って欲しいですが、
そのようなかたが「大浴場は危ないから部屋風呂に入った」という話を伺いました。
当館にも、赤湯の貸切風呂が2つありますので、よかったらご家族でお入りになっていただけたらと思います。
「赤湯」にゆったりつかってほんとに湯治ができるような
バリアフリーな旅館」になってゆけたらいいなと思っています。


WEB企画戦略室 小松令和
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こんにちわ、本年度、新入社員の三露と申します。

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3月末に入社し、毎日、兵衛向陽閣のこと、有馬温泉のこと、
おもてなしについて、などなど沢山のことを勉強中です。

私はその土地の文化や歴史を、四季折々の風景とともに楽しむことが
好きで、学生時代は、リュックサック1つで、日本各地の名所旧跡を
旅していました。流行の「歴女」だったかもしれません(笑)

研修中、大昔に3羽のカラスがこの<有馬温泉>を発見した
と聞いて、たしかサッカー日本代表のコスチュームって
カラスじゃなかったっけ?とはっとしました。

日本サッカーエンブレム

いまでこそカラスは悪者のようなイメージがありますが、昔は神の使いと言われていたそうです。カラスのイメージがよくなりました。

神の使いとしては熊野の<ヤタガラス>が有名ですが、
鎌倉時代に「仁西」上人は、熊野権現の夢のお告げで有馬に導かれ、
天変地異で荒廃していた有馬を再興したそうです。

<有馬の三羽烏>は、<温泉寺>近くの「行基」上人像の横で
いまも水浴びをしています。

画像 223

画像 525


有馬にいらした際には、古くは神話の時代にまでさかのぼる有馬温泉の歴史に
触れてみるのも面白いかもしれません。

わたしはまだまだ未熟ですが、皆様が兵衛向陽閣においでになった折、
ゆったり寛いでいただけますよう、微力ながらお手伝いさせていただきます。

新入社員研修中 三露朋加
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藤堂高虎


こんにちは
出張で三重に来ています。

三重で私が連想するのが「津藩の藩祖 藤堂高虎」

築城の名人で有名な高虎も豊臣恩顧の武将でしたが関ヶ原で
徳川について明治まで藩を残した大名の一人ですね。
彼のすごさは、単に生き残っただけでなく徳川の譜代なみの
地位を築いたところだと思う。
秀吉が存命の頃から家康に近づき、すっかり信頼を得て
以来、徳川軍の「先陣」という名誉まで受けたのですから。

しかし幕末の鳥羽伏見の戦いで津藩はいきなり幕府を裏切り
桑名藩に向けて攻撃を始めました。
藩祖の生き方が藩の方針となっていたといういい見本ですね。

「裏切り」といえば日本の将棋がそれをあらわしています。
西洋のチェスでは、とられた駒はもう使えなくなりますが将棋では
自分の「飛車」や「角」がいきなり裏切り攻めてきますね。
武士道から言って変だなと思っていましたが戦国史を見ればそれが
あたりまえのようですね。


営業企画課 西浦圭司
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広島城


出張で広島に来ています。
広島で考えたことを徒然なるままに

広島で私がまず連想するものは

1、「毛利元就」
三本の矢(サン・フレッチェ)の逸話で有名な毛利元就は一代で
中国地方の覇者になり10カ国を治めたが自分の息子たちの才能を
見切り自分の真似をして勢力を広げるのは無理と判断し自国の保持を
命じた。その為か関ヶ原の戦いでは毛利輝元は大阪城から一歩も動かず
敗戦の憂き目を見て山陽、山陰10カ国から周防、長門2カ国へ移封、
減俸された。
歴史に「もし」はないが西軍総大将の毛利輝元が関ヶ原にいれば
状況は変わっていただろう。明治のお雇いドイツ軍人、メッケルが
関ヶ原の布陣を見て間違いなく西軍の勝ちだと言ったらしいが
毛利軍の吉川広家と安国寺恵瓊が仲間割れしている事までは
知らなかったのだろう。
 西軍の大将を石田三成と思っている人も多いと思うが
三成はたかだか奉行であり総大将になる権限はなかった。
ちなみに五大老のうちの三大老(毛利、宇喜多、上杉)を味方に巻き込んだ
石田三成の手腕は負けたとはいえ「男子の本懐」だったと思う。
ただ徳川家康とは役者が違いすぎた。徳川はもう一つの大老職である
前田家から「まつ」をすでに江戸に人質としていてさらに関ヶ原後の
豊臣との戦いに備え本隊である徳川秀忠軍を温存して勝っているのだ。
上田城で真田昌幸が足止めをしその後軍神のように崇められ息子の
真田幸村まで崇められているが所詮徳川の想定内だったと思う。皮肉にも
関ヶ原で徳川のイヌのように戦ったのは豊臣恩顧の武将同士であった。

2、「福島正則」
徳川の番犬のように戦った代表の福島正則は実は母が秀吉の叔母という
親戚であった。家康のように先祖代々の家来のいない秀吉にとっては
数少ない信頼できる家来として目を掛けてもらってきたはずであった。
関ヶ原の褒美として毛利の後に広島城に入った福島はこの頃が絶頂期。
少しづつ家康が本性を出し始め、「天下普請」と称して江戸城や名古屋城を
大名に作らせ始め力を削ぎ始めた頃に幼馴染である加藤清正に
「なぜワシがこんなことをせんとならんのか」と愚痴をこぼすと
「余計な事はいうな。文句があるなら国に帰って戦の準備をしろ」と
たしなめられたらしい。加藤清正が単なる戦上手だけで熊本54万石を得た
のではないという逸話である。その後、豊臣家は滅び福島家も没落したが
正則はどんな気持ちで死んでいったのだろうか。

3、「浅野長晟」
浅野長政の次男で宗家二代目。福島正則が改易された後、紀州から広島に移封、幕末まで続く。
浅野長政はねねと義理の兄妹。いわばそれだけの才能です。
浅野家と言えば分家の赤穂浅野家が不祥事を起こした事で有名ですが
吉良側から見れば単なるテロ事件。老人の家に47人で打ち入るなんて・・・・

広島では女子高生も「じゃけん」と語尾につけます。

営業企画課 西浦
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龍馬携帯ストラップ


昨日、歴オタとしてご紹介にあずかりました
西浦和泉守でござる。

先日から大河ドラマで「龍馬伝」が始まりましたが
みなさんどう思われましたでしょうか?
画像がとても綺麗でストーリーも良かったと思いますが
道場の稽古シーンがいけません。
剣道三段の私から見れば職業軍人である武士のみなさんが
あまりにシロートすぎてどんびきしてしまいました。
面をつけるのだから有段者が代役をすれば
いいのに役者さんがそのままやっているので
剣さばき、足さばきがあまりにひどい。
また、立ったまま面を外して手拭を頭に乗せたまま
会話するというのもあり得ませんね。

ま、批判はこのくらいで本題の龍馬と温泉についてですが
残念ながら龍馬と有馬温泉は繋がりが見つかりませんでした。
もしご存じの方がいらっしゃれば教えてください。
k.nishiura@hyoe.co.jp
「龍馬と温泉」といえば寺田屋で襲撃を受けた際に
ピストルで刀を受け右手の親指を損傷し薩摩藩邸に
逃げ込んだ後、西郷の薦めで薩摩へおりょうと新婚旅行に
行き塩浸温泉に行った事が有名ですね。
(ちなみにこれが日本初の新婚旅行とされていますがこの旅行で
龍馬とおりょうはピストルで鳥を撃ったり、高千穂登山をして
楽しんでいます。)
忙しい龍馬にとっては、束の間の休息だったと思います。
おりょうもこの頃が一番楽しかったと感想を残しています。

その後、龍馬はまさに33歳の誕生日に天に召されていきますが
おりょうは最後まで亭主が何をやっている人か知らなかったようです。

そんなもんですよね・・・

営業企画課 西浦圭司
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こんにちわ、新人の小松令和です 

先日、兵衛向陽閣ブログのアクセス解析をしました。
12月の「キーワードTOP5」を見てみると・・・

1位 有馬温泉
2位 向陽閣
3位 兵衛向陽閣
4位 ブログ

ま、ここまで普通ですね。ところが、第五位

「有馬温泉向陽閣の」キターッ (゚Д゚≡゚д゚)エッ!?

よ、鎧・・・

クラクラ きましたが、じつは、西浦課長の歴史オタ・ブログ、密かに人気だそうです。

ということで、本日は、私が館内で発見した歴史モノを、歴史マニアのみなさまにお見せしましょう。
これです。

唐招提寺の壷西館8Fのエレベータ脇の壺

いえいえ「壺」というより、その足元の台



ズームアップ!!してみると・・・




200912271456000唐招提寺」と見えますでしょうか?

天平の甍」で有名なあの「唐招提寺」ではないですか?












唐招提寺と言えば「鑑真」さん。
このまえ鑑真さんのドラマをやってました。
5度の渡航失敗で盲目になった上、日本の僧侶・貴族たちからのいじめにあってホント大変な晩年でした。
寺名の「招提」はもともと「四方」「広い」などの意味だったのが、転じて「私立の仏教寺院」という意味に当時使われていたそうです。
「唐招提寺」=「唐僧(鑑真)の私立寺院」ということになります。

有馬温泉は古くからあるので、もしや鑑真さんも関係者?と思い、調べてみましたが不明でした。


ちなみに有馬では、2人のお坊さんが有名です。
正月2日の入初式では、行基さんと仁西さんの像がジャブジャブ洗われちゃうくらいです。

「鑑真、知ってる?」

「唐招提寺を建てた人だよね」

「じゃ、行基が建てた寺は?」

「......

はっきりいって知らないです、行基っていったい誰?

その行基さん、じつは鑑真さんと同時代の人。

行基が749年没。
鑑真が754年に平城京入り。
タッチの差で出会えてません。残念

行基と鑑真の歴史をチョー簡単にまとめると・・・
行基が国家の専売特許だった仏教を民間に広めたが、その布教手段として全国で土木工事をしてあげた。困ってた民衆、大喜び
行基のもとに土木工事集団「行基組」が組織され、でかい土建屋チームになった。ついには国からも土木仕事を請け負うほどに成長。
しかし行基が民間に仏教を広めたのに乗じ、税金免除されたいがため坊主を騙るニセモノが増えた。
困った国は、仏教の国家免許を発行するために、唐から鑑真を招へい。
鑑真が来てからは、坊主は国家資格が必要とし、誰でもなれないようにした。
という流れのようです。

さて、行基が温泉を発見したり整備した、という伝説は全国に残っています。

「土木工事で疲れた人々を回復するには、温泉 が一番じゃの~」

なんて言ってたかどうかは不明です。
なにはともあれ、行基さん、どーもありがとう

館内、謎の多い兵衛向陽閣でした。

ご参考:行基のことがよくわかる面白サイト


営業企画課 小松令和
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『ありま ひょうえの こうようかくへ~~』





最近兵衛向陽閣のTVCMを少なくなりました、ざんねんです。
今は、どんなCMなのか・・ ありました ありましたよ・・

YouTubeで発見 フレーズも昔のまま

いいじゃないかな この感じ


『ありま ひょうえの こうようかくへ~~』



顧客管理 森本


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キダ・タロー様兵衛向陽閣のCMで有名な 「♪アリマヒョウエノコウヨウカクエ~♪」 は、浪速のモーツァルト、キダ・タロー先生の作曲です。
5秒のCM音楽ですが、このメロディーは最高です。

もともとは 「兵衛向陽閣音頭」 といって3番まであるそうです。知りませんでした。
唄っているのは、昭和36・7年 「川は流れる」 のヒットで知られる仲宗根美樹さんが唄っています。
兵衛向陽閣のホームページで 「♪アリマヒョウエノコウヨウカクエ~♪」 を聴くことができますよ。




キダ・タロー先生の動画をYouTubeで発見 
ご覧にください。6分少し有ります。
兵衛向陽閣のCMは3分06秒あたりより10秒ほど有ります。
懐かしい大作が並んでおり『あああ~~これは・・・。』と声を発すと・・・。

あなたも・・・。いいお年ですか?


顧客管理 森本

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kikyou
兵衛向陽閣では個人のお客様だけでなく
団体様のお昼プラン(あやめ、ききょう、りんどう)もございます。
今回はその名前の一つ(桔梗)について



桔梗というのは花ですが私が一番に連想するのが明智光秀の家紋です。
信長が本能寺で桔梗の旗印に包囲されていると知った時に言った「是非に及ばず」は有名ですね。水色の桔梗の紋ならばしょうがないと言ったところでしょうか

その桔梗の紋は、日本の歴史上の人物の人気ランキングで常に上位に入る「坂本龍馬」にも使われているのはご存知でしょうか?
実は、坂本家は明智光秀の娘婿の秀満の子孫といわれていて山崎の合戦の後、土佐に逃れてきた子孫が昔を懐かしんで明智光秀の居城「坂本城」から名付けたというのです。(土佐は明智家が長宗我部家と織田家の取次をしていた。)

坂本龍馬も暗殺されてしまいましたが黒幕としていろんなミステリー説がささやかれています。
実行犯が京都見廻組であるのは事実でしょうが実際はだれの指図で動いたのか?

その候補として
1、薩摩藩
2、新撰組(徳川家)
3、紀州徳川家
4、中岡慎太郎
5、外国人商人
が私の思う順番です。

薩摩藩は、あくまで徳川を徹底的につぶす目的があり内戦を避けようとする龍馬が邪魔になったとか、いろは丸事件で面目をうしなった紀州藩だとか、いやいや抗戦派の中岡慎太郎と激論しているうちに同志討ちをしたとか・・・・まぁ、そういうことをイロイロと考えるのが好きです。
お座敷でお昼を食べながら皆でそんな話も楽しいですね。

お昼のプランの詳細は>>>

営業企画課 西浦

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karajij

宴会場シリーズです。

今回は「桃山」です。

桃山は「安土桃山」時代から来ています。
この時代の文化は、のちの質実剛健ではなく
本当に豪奢なものですね。
安土はご存知、信長の居城、桃山は伏見にあった
秀吉の居城から来ています。

ただ桃山と呼ばれたのは、江戸時代になって
桃の木を植え、花見の名所になったからで
歴史好きからするとちょっとしっくりこないですね。

営業企画 西浦圭司

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宴会場シリーズです。
今回は「愛宕」について






有馬の近くにも愛宕山がありそこから来ているのですが
愛宕山と言えば私が連想するのは本能寺の変で
明智光秀が連歌を催しおみくじを何度も引きなおしたという
あの「愛宕山」です。

本能寺の変には諸説あり歴史ミステリーの定番と
なっていますが答えはありません。
それを好きなように考えられるのが歴史の面白さですね
明智光秀が実行犯なのは周知の事実ですが
黒幕説として
1、近衛前久
2、正親町天皇
3、豊臣秀吉
4、徳川家康
5、宣教師
6、堺の商人
などがあります。
ちなみにこの順番が私が考える黒幕の
順番です。

ただ明智光秀の個人的な感情による衝動的な行動だという
意見も大いに有効だと思います。
知識人であった光秀といえど戦国武将ですから
チャンスがあれば天下を狙うのは当然です。
隙を見せた信長に驕りがあったのでしょう。

信長の描く日本の姿を見れなかったのは
非常に残念です。

営業企画課 西浦圭司

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太閤橋のたもとに大きな銀杏の木があります。


かなり色づいてきましたよ。



今日は太閤という言葉のお話・・・
太閤(たいこう)とは摂政若しくは関白の職をその子弟に譲った人物のことを言い
実際、日本の歴史上何人もいるわけですが、一般には豊臣秀吉のことを
指すことが多いですね。
特に秀吉をさす場合は、豊臣姓から「豊太閤」というのが正確ですね。
秀吉の本拠地であった大阪では、天下の膝元として大阪を発展させた秀吉を敬愛して
今も「太閤さん」と呼び親しんでいます。

秀吉同様に内閣総理大臣まで上り詰めた田中角栄元首相は俗に「今太閤」といわれましたが
その弟子の小沢一郎氏は本田正信といったところでしょうか・・・

営業企画課 西浦圭司

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兵衛向陽閣には「聚楽」という宴会場があります。
この「聚楽」は豊臣秀吉の聚楽第から来たもので
今回は聚楽第のお話をひとつ
※絵は『聚楽第図屏風』(三井記念美術館所蔵)部分



聚楽第は関白となった豊臣秀吉が政務を執り行い、
また邸宅として造られたらしいですね。
大建造物好きの秀吉らしく豪奢なものであったらしいです。
九州征伐を終えた秀吉が大坂城より移り、ここで政務をみたの
ですが天正16年4月14日には今上天皇の後陽成天皇の行幸を
迎えてこれを饗応したらしいです。天皇が臣下の邸宅に
訪れるという栄誉は身分の低い秀吉にとっては
恰好の箔付けになったことでしょう。秀吉絶頂の頃のエピソードです。
その後、「小牧・長久手の戦い」で敗れていた家康にも
得意の外交で懐柔し(人たらし)上京させ臣下の礼を
取る謁見もここで行いました。いわば天下統一の仕上げの場所ですね。

ここから秀吉の人生の下り坂が始まります。
天正19年に後継ぎのいない秀吉は関白職を甥(姉・日秀の子、当時23歳)
豊臣秀次に譲り、聚楽第も秀次の居城となりました。
しかしその後、秀吉に跡継ぎができ不安になり自棄になった秀次は
「殺生関白」と揶揄されるように辻切りをしたりして秀吉により文禄4年に
高野山に追放して切腹させられました。
同時に秀次の居城であった聚楽第も徹底的に破却されたようです。
聚楽第の建造物の多くは伏見城内へ移築されたらしいですが、
その伏見城も翌年に起こった大地震で破壊され、
またその後、再建された城は関ヶ原の合戦の緒戦で炎上しました。

現存する西本願寺の飛雲閣、大徳寺の唐門、妙覚寺の大門、
妙心寺播桃院玄関など、聚楽第から移築されたという伝承がある
建造物も少なくないですが、いずれも伝承の域を出てないようです。

営業企画課 西浦圭司

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前回の「鎧」の話から派生して・・・

三田藩は九鬼嘉隆から興った大名で
江戸時代有馬から三田にかけて治めていました。

九鬼氏は藤原北家熊野別当の末裔で紀伊国牟婁郡
(現在の三重県尾鷲市)で起こり、志摩国鳥羽藩
(三重県鳥羽市)を拠点に九鬼水軍を統率し信長の
本願寺攻めや秀吉の朝鮮出兵で水軍総督を務めた大名です。
秀吉亡き後の関ヶ原では東西に親子で別れて参加し
家名を残した九鬼家ですが(真田家もそうですね)
守隆の死後、五男の久隆と三男の隆季との間に
家督争いが起こり水軍力を恐れた徳川家光はこの
家督争いを理由に九鬼氏の石高5万6千石を分割、
内陸の三田と綾部に移封させました。


これにより九鬼氏は鳥羽の地と水軍を失い、
宗家を三田に移し廃藩置県までの約240年間
三田藩を統治しましたが海のない内陸藩であるにも
関わらず水軍を持ち訓練は欠かさなかったようです。

営業企画課 西浦圭司

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有馬温泉 兵衛向陽閣
神戸市北区有馬町1904
Tel 078(904)0501
Fax 078(904)3838
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091104_102140

秀吉の茶道好きは有名ですね。
有馬でも11月の2日、3日と
大茶会が開かれ和服姿のお嬢様達が
沢山街を歩いていらっしゃいました。






茶道は戦国時代に隆盛し文化人のサロンとして機能していたようです。
信長などは茶道具を褒美として与え、領地をもらうより名器をもらうほうが名誉であるという風潮もあったようですね。
茶会を開く権利は信長からしか与えられず秀吉も天正6年(播磨攻略中)にやっと許可を与えられたようです。

許可を得た秀吉は天皇から利休という居士号を勅賜された千宗易を茶頭として引き連れ有馬に来ました。
そこで茶道具として竹で編んだ「有馬籠」を重用したようです。

兵衛 向陽閣の売店でも販売していますので是非どうぞ
http://www.hyoe.co.jp/public/miyage.html

営業企画課 西浦圭司

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有馬温泉 兵衛向陽閣
神戸市北区有馬町1904
Tel 078(904)0501
Fax 078(904)3838
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sennari兵衛のエグゼクティブプランの一つに
「千成プラン」があります。


今回はこの千成について
書きます。






前回、書いたように野伏り集団をうまく使い稲葉城を落とした
秀吉に対し信長は

「今度、瓢箪の相印、面白き趣向、とりわけ味方の吉事なれば、
この後例として馬印に用うべし」

と命じ、馬印に使用する許可を与えたらしいですね。


以後の秀吉の戦功はめまぐるしく戦功あるごとに小さな瓢箪を一つずつ
増やしていくと千成瓢箪とよばれるようになったとの事です。
千成瓢箪とは字のごとく千にも成る瓢箪の事です。
千成瓢箪


秀吉のごとく天下を狙っている方は是非是非
千成プランをお試しください。ご利益があるかも・・・
http://www.hyoe.co.jp/plan_type/plan_type_sennari.html


兵衛向陽閣
営業企画課 西浦

「ひさご弁当」について


hisago兵衛向陽閣では日帰りプランのひとつを
「ひさご弁当」という名前で出しています。


「ひさご」とはつまり瓢箪、ではなぜ瓢箪なのか
というと兵衛と関係の深い秀吉に
由来しています。



永禄10年、信長の命で美濃国主 斉藤龍興の立て籠もる稲葉山城
を攻略した際に、蜂須賀・加治田・稲田・青山・日比野ら野伏りの家来を
引き連れ守りの薄い城の搦手へ廻るため
「銘々腰に兵糧をつけ、大なる瓢箪に酒を入れ」
けもの道を駆け上がったらしいですね。途中より猟師の
堀尾茂助(のちの豊臣政権中老)の案内もあり搦手になんとかたどりつき
さらに大手門の城塀へと走り廻って
「酒器に用いし瓢箪を竹の先に結びつけ、塀高く差し出し」
たらしいです。これは味方への約束の合図であり、これにより味方の軍勢を誘引して
城内へ攻め入らせ城を陥落させたという言い伝えらしいです。

つまりは出世のきっかけを作った縁起の良い名前ということですね。

みなさんもぜひ秀吉ゆかりの兵衛にて「ひさご弁当」を
お召し上がりいただきますますご発展ください。
http://www.hyoe.co.jp/higaeri/higaeri-top.html


兵衛向陽閣
営業企画課 西浦

DVC00005館内にて見つけた面白いもの
紹介します。

戦国も好きですが幕末も興味をそそられます。
特に維新をおこした志士達は下級武士の
出身が多く年齢も若いのですごく身近に
感じます。

志士の中では、特に「高杉晋作」が好きです。
あのカリスマ性といい、奇兵隊を創設したのに
すぐに総督をやめる欲のないところや
三味線を弾くなどの粋なところが好きです。

その高杉の弟子みたいな存在に伊藤博文がいます。
伊藤が高杉を評して
「動けば雷電の如く 発すれば風雨の如し、
衆目駭然、敢て正視する者なし。これ我が東行高杉君に非ずや…」
 と残した。博文自身、維新後は初代総理大臣になった人物です。

その伊藤博文の掛け軸がなにげなく館内にあります。
またまたひっそりと・・・・
一度館内を探してみてください。

芸能人やスポーツ選手の色紙はグリーンテラスにたくさん
飾ってありますがさすがに伊藤博文はびっくりし、また兵衛の歴史の
重みを感じます。
http://www.hyoe.co.jp/event-joho/event-joho.html


兵衛向陽閣 
営業企画課 西浦


nene湯けむり広場の秀吉公と向かい合って
ねね橋のたもとに正室「ねね」が立っている。

近づいてみると端正な顔立ちで
ねねというより「淀君」のようだ。
ねねは、どちらかというとおおらかで
豊満な女性というイメージである。
北の政所(従一位)という女性では最高位に
なった後でも殿中で尾張弁丸出しで話し
決して飾らない人であったようだ。


今でもねね様の人気は高いようだ。そんな
ねね様にあやかりたい方は是非当館の
レディースプラン「ねね」コースを
http://www.hyoe.co.jp/plan_type/plan_type_nene.html


「ねね」を慕って、加藤清正や福島正則が関ヶ原の戦いでは、
東軍についたのは有名な話だ。
秀吉亡き後は石田三成ら近江派が担ぎあげた旧主 浅井家の遺児
浅井茶々(淀君)と尾張派のトップ、ねねとの女の戦いの間にうまく
徳川家康が入り込み天下を簒奪してしまった。

そうでなければ今も、関西が首都であったのにと悔しい思いを日々
ねね橋のたもとで噛みしめています。


nene&koyokakuねね橋は有馬川にかかっている朱色のきれいな橋でそこから見る向陽閣と紅葉の美しさは格別です。
ねね像のすぐ近くにカフェ&ギャラリーHYOEがありますので紅葉を眺めながらごゆっくりとお過ごしください。

兵衛向陽閣 
営業企画課 西浦
http://www.hyoe.co.jp/public/hyoe.html


hideyoshi side「兵衛」という名前は秀吉公からいただいたと
いう言い伝えになっている。
今でいうリピーターであったようだ。
では秀吉公と有馬の関わりはどうなのか?

秀吉といえば尾張の水飲み百姓の子が
天下人になったとして下剋上の代表のような
人物だが実際は信長が興した事業の継承者と
いう方が近いと思う。
信長という絶対的カリスマ経営者のもとに
5人の部門長がいて秀吉は中国地方の覇者
毛利家の担当であった。

他は、北陸担当の柴田勝家
    山陰担当の明智光秀
    四国担当の丹羽長秀
    関東担当の滝川一益

その関係もあって秀吉は安土から播磨を何度も往復し土地に馴染みが
あり天下統一後はこの有馬を9度も訪れ、改修工事も行っている。

晩年には弱り行く自分を嘆き、
「月も日も いのち有馬の湯にうつり やまいはなしの 花とちりけり」
和歌を残している程だ。

有馬温泉駅のすぐ近くにある「湯けむり広場」には、
太閤秀吉の像が置いてあるのでじっと見つめて当時に思いを
馳せるも一興ではないでしょうか

兵衛向陽閣 営業企画課 西浦

公式ホームページ
http://www.hyoe.co.jp/

兵衛の歴史は古く創業は650年以上前とも言われているが
戦国好きの私にとってはなんといっても温泉好きの豊臣秀吉の
愛した温泉地として印象が残っている。
歴史好きなら山田芳裕先生の古田織部が主人公の「へうげもの」と
いうマンガは知っていると思うがその第4巻に秀吉が弟の秀長と温泉
に入っているシーンがありそこに「兵衛」と書かれていたのがとても
嬉しかった!!
秀吉の温泉好きは有名で小田原攻めの際も箱根で政宗と入浴
しているが何といっても有馬、それも兵衛に何度も来ていたようだ。
荒木村重の有岡城(今の伊丹駅)で狭い牢屋に幽閉されたため
足が伸ばせなくなった黒田官兵衛(如水)にも救出後、有馬行きを
勧めている。(司馬遼太郎著 播磨灘物語参照)

その秀吉から九鬼嘉隆(信長の命令で鉄甲船を作り毛利水軍を
苦しめた)に対して贈られた鎧が館内に飾っている。


091021_1347~01

国立博物館であっても驚かないようなものが
なにげな~く置いてあるところがシブイと思う。

時間のある時は、鎧を見に行って一人で
タイムスリップを楽しんでいる。

営業企画課 西浦

兵衛の歴史
http://www.hyoe.co.jp/hyoe.html

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